歌舞伎

先週末は、東京に歌舞伎と芝居を観に行った。

最終便で成田、ホテル代節約のために空港泊。

三越前のいつものカプセルホテル2泊。早朝便で帰るために空港泊。

そのまま地元の空港に戻り仕事。と・・・さすがに疲れる行程でした。

 

演目は

歌舞伎座

芸術祭十月大歌舞伎 昼の部「極付印度伝 マハーバーラタ戦記」

七之助と松也無双。七之助の真骨頂は、声にあるだなと思いました。

声がホントに良い。納涼歌舞伎の「桜の森の満開の下」の夜長姫も声で役柄を立ち上げていた。歌舞伎は見栄に代表されるように、止めの面白さ、美学で成り立っているが、止めをおさえつつも、ラストの菊之助と松也の殺陣はあらんばかりの想像力と動きを駆使した動的な殺陣で、歌舞伎役者の肉体っていうのは、すげえもんだなと血湧き肉躍りました。菊五郎は、ゼウス的な立ち位置の那羅延天。ほとんど動かないのだが、その動かなさが、また凄みをかもしだしていて良いという、これも、円熟極まる歌舞伎役者のなせる技だなと思ったものでした。

夜の部「沓手鳥孤城落月」「韓人漢文手管始」「秋の種草」

沓手鳥・・・は、舞台が暗いのと話が暗いので少しウトウト。

韓人・・・は、鴈治郎のコミカルさに笑わせてもらいつつ、芝翫の演技の妙もよし。

秋の種草は、これぞ、われわれが観たかった玉三郎!という感じでした。

67のおじいちゃんに、みなが見惚れる、この不思議ですね。

 

国立劇場「霊験亀山鉾」

南北と仁左衛門の組み合わせは七月松竹座の「盟切三五大切」以来。

南北の筋書きのすさまじさ、仁左さまの妙義にうなりまくった記憶があるので、かなり楽しみにしていた。仁左さまは、言うまでもなく最の高なわけですが、少し品がありすぎる・・・?と思ってしまったり。あと四谷怪談や三五大切などに比べると筋が面白いとはいえない。

しかし、眉一つ動かす、口元ひとつあげるだけで、アレほど色っぽく、かっこよくうつるとは。歌舞伎役者は、踊りの稽古なりなんなりのとき、鏡を見ることを禁止されているという。五代目菊五郎は、素っ裸になって踊りを教えていたそう。裸になって、この筋肉の動き方を見ろ、というのである。そうすることでフォームが身につく。フォームとは100回やれば100回同じことができる形のことである。

このフォームが、仁左様の中にもすでに確立されているのだろうと思った。

眉を右下方に1ミリ動かせば、こう見える、とか、あるんでしょうね。無意識下で。

そこをコントロールできるから人間国宝なのであるのだなあ。

 

新橋演舞場「ワンピース歌舞伎Ⅱ」

新国立劇場「トロイ戦争は起こらない」